いのちの甲斐

眩しい空の青さが和らぎ、少しずつ高みへと退いたように見えます。
灼熱の日差しが終息して、風の涼しさが感じられるようになりました。
夏が終わり、オリンピックの熱気も止みました。季節の移ろいとともにエリザベス・キュブラーロス博士も亦、無情の風に乗って旅立って行かれました。改めてそのご遺徳を尊崇すると共に、精霊界にあってもなお一層の照鑑と教導をこの後も変わらずに・・・・・と祈るばかりです。
ロス博士はかねてから望んでおられたように漸く老いやつれた殻を抜け出て、千の風を舞い渡っておられるのでしょうか?
病床の中に在りながら「死の準備」と「生の総括」ともいうべき二冊の本を上梓せられた方ゆえ、未完の仕事なるものは、もはや無いのかも知れません。ご葬儀も定めし悲しみの中にも美しく楽しく、暖かい光に溢れたものであったろうかと想像しております。「告別式ではなく、フェアウエルパーティーの方が似合うような気がいたします。

そんなEK・ロス博士には、送る言葉ではなく、ひとつだけ質問をさせていただきたく思います。禅家では、お釈迦様以来の慣わしとして、臨終の際に一問一答が許される伝統があります。一休さんには、「死んだら何処へ行くのですか?」という質問もあったとか。かなうことならお尋ねしてみたかった事、それは人生の中でもっとも美しく輝き、誇らしく思えたシーンは何ですか?」というものです。多くの人々の「魂の死(spiritual death)」を救い・生を力づけ・目覚めを導いた方にとって、いつが一番輝いていて「いのちの甲斐」を感じた瞬間だったのでしょうか?と。
臨死体験の研究者であるカールベッカー氏に、何度かお話を伺ったことがありました。
生還者の共通する体験の中で、いくつか興味深いものがありました。そのひとつに「人生の中で一番輝いていた、誇らしくまた嬉しかった出来事やシーンはなんでしたか?」という質問に対して、ほとんどの人に共通する点があると言うものです。意外なことに、特別な晴れ舞台や一台事業の達成といった栄光のシーンはあまり無いのだそうです。

ありふれた日常の中の素朴で心ぬくもる喜びが、大切な思い出としてよみがえる場合が多いのだそうです。
臨死体験者や死を目近に感じた人達は、生の悦びや日常の何気ないひとコマに感激の度合いがずっと大きく変わります。「何でもないようなことが、幸せだったと思う。」、当たり前の営みがかけがえのない命の悦びとして受け留められるのです。
臨死体験者以外でこのことを知る者は、およらく詩人と聖者ではないでしょうか? そして、LDTワークショップの参加者にも、これに近い感慨を持たれる方が多いのでは・・・・と思っています。
「平常心(ヘイゼイシン)これ道」悟りの心境であり、「いのちの甲斐」とも言うべきか・・と。

投稿者:てんちゃん、LDTワークショップスタッフ。曹洞宗禅僧